(2021年2月6日投稿記事)
奥村です
通常国会が始まり、また見苦しい国会のやり取りを見なくてはいけない季節になりました。世の中コロナで大変困っている人が沢山いるのに、国会議員は何をやっているんだ!と思い続けてもう何年になるだろう?
特に立憲民主の君たち、尖閣無視、米国の大統領選も無視、韓国の我儘も無視、新型コロナで苦しんでいる国民をスルーして桜だ学術会議だ?!(# ゚Д゚)
というところで、親父が与太話を始めます。思い出すと腹が立つことが多く、とても一本では書ききれないことが分かりましたので、あり得ないことですが、初のシリーズをやらせて頂きます。
え?新型コロナより立憲民主か?!ですって・・・
お怒りごもっともです。m(_ _)m
さて、本題に入って歴史を振り返ると。事の始まりは超不人気だった福田康夫内閣で福田首相が記者会見で記者にいじられ「私はあなたとは違うんです!」と逆切れして退陣し、麻生さんが首相になった時に遡ります。
麻生内閣はちょうど今の菅さんのケースと一緒で最初は「漫画を愛する首相」とか言われて結構人気も高く50%くらいで支持率もそこそこ高かったんですが、2008年のリーマンショックと其の後の強烈な円高で経済が大変なことになってしまいました。
すると、大マスコミが今と同じように新聞、ワイドショーで徹底的に麻生首相をディスりまくり、麻生内閣の支持率はどんどん下がって20%まで行き万事休すの事態となりました。
その時の最大野党は民主党で後にポッポと命名された鳩山由紀夫が代表でした。低支持率で苦しむ自民党を尻目に、国民にソフトに「一度は我々に政権を任せてチャレンジさせてください。絶対民主党が国民を幸せにいたします」と語りかけ、国民に甘く誘いこみました。今考えればナンパ男の口説き文句ですね。
初心な国民はまんまとその口車に乗って「まあ、政治は誰がやっても同じだし、一度くらいなら・・・」と2009年8月の総選挙で自民党に歴史的な大敗北のお灸をすえ、民主党に政権を渡してしまったのです。
その民主党ですが、よりによって自他ともに認める宇宙人、代表の鳩山由紀夫を首相に据えました。(当たり前なんですが・・・)
最初こそ国家埋蔵金だ事業仕分けだ、とかパフォーマンス全開で国民の喝采を浴びて抜群の支持率を誇っていましたが、官僚の言いなり、パフォーマンス第一の政治姿勢ですから、まともに政治ができるわけがなく、おまけに鳩山首相の迷言乱発、野党ボケの脇の甘さで不祥事多発で瞬く間に行き詰まりました。
その時を思い出すと今でも頭に血が上ります。たとえば、懸案の普天間基地の辺野古移設、以前の政権が苦労して道すじを作ったのに、鳩山首相になったら普天間基地の移設を「最低でも県外!」にと約束し、うまく進まないと「私に腹案がある」と言いながらオバマ大統領との対談で何とかすると約束しました。実際に首脳会談では全く相手にされず、苦し紛れにオバマ大統領へ「Trusut Me!」。
正直日本人である自分を恥じましたよ。白状します。実を言うと私はこの時不覚にも民主党に一票入れちゃったんです。奥村一生の不覚です・・・。(この恨みで今この文を書いています)
それで政権がやばくなると以前に薬害エイズ問題で市民よりの鮮やかなパフォーマンスで魅せ、市民運動家上がりの弁舌で人気のあった菅直人が総理大臣になりました。基本パフォーマンスの人なので、中身は無い。目に見えて行き詰まりかかったところにトドメをさすように2011年の東日本大震災が直撃します。
津波で大勢がのまれ、福島原発が水素爆発し、放射線が東日本を覆う。まさに日本が滅ぶのではないか?と思わざるを得ない被害を生じました。
そんな時にも菅直人首相は、ここぞパフォーマンスで起死回生を図ろうと思ったのか、俺は東工大で理系だぞ!と勇ましく福島原発に乗り込み、訳が分からない指示で現場を苦しめました。この時の阿鼻叫喚は書き出すと長くなるので、別の機会としたいと思います。
ということで、東日本大震災が一段落してくると、さすがの国民も民主党にNo!を突きつけます。菅直人が粘り腰で総理の座を守る姿を国民に見せつけることで、諸悪の根源は菅直人であると印象付け、後継の野田首相のサポートをしたようですが(ここの下りは私の邪推です)、流石に国民はもう騙されません。民主党の下野を求めます。
この時は、当然ながらマスコミは掌返しで糾弾の先陣を切ります、八方ふさがり、四面楚歌に陥った野田首相は、国会の自民党安倍総裁との討論の際に、「解散総選挙」という謎の選択をし、見事に腹掻っ捌いて果てたのです。
という経緯があり、この度立憲民主党と国民民主党(除く代表+α)が合併し、ほぼ民主党になったわけですから、私はちょっと、無理ですね・・・。全然反省してないですしね~。
ということで、ザクっとした「総論」を終わらせて頂きます。近々民主党の皆さんが国民に教えてくれた貴重な体験をまとめたいと思います。
本日のところはこれまで
それでは、また(^^)/